映画『愛の嵐』(1974年 リリアーナ・カヴァーニ監督)の感想

最終更新日 2023年10月4日 by Kazu

▲ネタバレあり

『愛の嵐』は自分が子供の頃、テレビで放送されていた記憶がうっすらある。

昼を過ぎてまだ夕方前の空っぽな時間、テレビに映ったナチス制帽姿の白人女性の青白い顔を憶えている。

しかし、全編をきちんと観たのは、レンタルビデオの時代になってからだった。

舞台は1957年のウィーン。

ダーク・ボガードが、過去にナチス強制収容所で働いていた元親衛隊員のマックス役。
シャーロット・ランプリングが、その収容所の元囚人のユダヤ人、ルチアを演じていた。
収容所の中でルチアはマックスから、玩具のように扱われていた。

この二人が戦後、マックスの働くホテルで偶然再会してしまう。

この映画には、いくつかの印象的なシーンがあった。有名なのはポスターにも使われた場面だ。

ルチアが収容所の中で、SS隊員たちを前に半裸で歌うところ。このシーン、ぱっと見は異様な美しさを感じる。しかし、状況設定にリアリティが無く、衣装やメイク、演出が過激で、自分には茶番のようにも見えてしまう。

むしろ印象に残っているのは他のシーンである。それらのシーンは、登場人物の記憶を呼び覚ます装置として「音」を使っていた。

主人公ルチアの回想場面。

遊園地の回転ブランコに大勢の子供が乗っている。その中にまだ少女のルチアもいる。映像だけ見ればどうということの無いシーンだ。しかし、背後では銃声と悲鳴がずっと聞こえている。

おそらく、ルチアの子供時代の楽しい記憶と、トラウマとなった収容所での体験を組み合わせて表現したのだろう。

親衛隊マックスが裸にされたルチアを、小型カメラで執拗に撮影するシーンも覚えている。

ルチアの肌を刺す無遠慮なライトの光。人間性の崩壊を示すマックスの薄ら笑い。ここでも、耳障りな機械音が鳴り続けていた。

また、マックスが自室のベッドで、自ら行った暗殺のトラウマに苦しむときも、犯行時の会話が再現されていた。

これらのシーンは、音が映像と同様に人の記憶に残ることを明確にしている。

文章や音響などによって頭の中に形成されるイメージは、映像そのものよりも爪痕を残すことがある。

登場人物たちの行動は一貫している。

彼らはことあるごとに、収容所時代の記憶を呼び起こし、嫌悪を感じながらもそこに浸り、あの頃に戻りたいと思っている。

今の自分は抜殻で過去の記憶の中で生きている、と彼らは感じている。
それが忌まわしい記憶であっても彼らにとっては宝物なのだ。

突然の再会後、動揺していたマックスとルチアだったが、結局あの頃の関係を復活させ、抱き合い、喜びを爆発させた。二人は本来の自分に戻ったとでもいうように。

WiKiによると『愛の嵐』は、1920年代にウィーンに建設された巨大な集合住宅(カール・マルクス・ホーフ)が舞台となっている。実際にオーストリアでは、第二次世界大戦後、多くの元ナチ親衛隊員が、自分の過去を隠蔽しつつ暮らしていたらしい。この作品は、そういった歴史を踏まえた内容になっていたようだ。

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