映画『回路』をロードショー公開で観た感想

最終更新日 2023年10月1日 by Kazu

▲ネタバレあり

自分はよく写真を撮る。おもに街の風景だ。
外出するときは小さなデジカメを持って行く。
小さいと周囲の人に不要なプレッシャーを与えない。
高層ビル、裏路地、空、誰もいない公園などを撮る。

人を撮ることには、全く興味がわかない。
カメラを向けるのは人のいない場所ばかり。
その理由を考えてみた。

まず、自分は人間が嫌いというのが一つある。
他人が何を考えているかわからないからだ。
昔、営業職だった頃、先輩に「おまえは、人間が嫌いだろう?」と、見抜かれた。

しかし、読書や映画は好きだ。
本は歴史に残るような作家と一対一で会話ができるツールで、これ以上のメディアは無いと思える。

第二に、人のいない街が美しいと感じるからだ。
生活臭が感じられない、休日のオフィス街みたいな場所。
誰もいない街で暮らしたいと思うことがよくある。

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黒沢清監督の『回路』をロードショー公開で観たことがある。
WiKiで確認すると2001年2月公開となっている。9.11テロの半年ほど前だ。

同監督の『CURE』は、すでにレンタルビデオで観て感銘を受けていた。
『回路』は久々のホラー作品ということで、映画館まで足を運ぶことにしたのだ。
キャッチコピーは「幽霊に会いたいですか?」

休日の新宿。映画館はロードショーにもかかわらず空いていた。
観客はひとり客が4、5人だったと思う。みんな離れて座っていた。
せっかくの休日にひとりきりで映画館に来た人たち。
なんとなく気まずい雰囲気の中で、映画は始まった。

内容は、人が壁に黒いシミを残して次々と消えてゆく話。中盤でインターネットと死後の世界の繋がりが示唆される。
街には幽霊が出没し、それを見てしまった人が消えてゆく。
幽霊が現れるときに鳴る奇妙な音や、終始聞こえる「空っぽ」を表現する効果音が独特だった。

自分はザラついた薄暗い映像を、ただぼーっと眺めていた。
ガランとした館内。観客全員が自分以外の観客のことを意識しているような空気。
入り口に立っていた無表情な映画館職員。
そういった、映画とは何の関係ないことを覚えている。
しかしそれは自分にとって、決してどうでもいい事ではないから覚えているのだろう。
観客の孤独感と、映画の殺伐とした世界観が混じり合い、胸が締め付けられた。

印象的だったシーンは、行方不明者の写真と名前が延々と流れるテレビ画面。
女性の飛び降りシーン。女性の悲鳴を聞いて遠くから様子をうかがう人々のヒソヒソ声。
あちこちで煙が上がる無人の東京。
そして、ハッピーエンドのように見える曖昧なラスト。

映画が終わっても、館内の気まずさは変わっていなかった。
観客はみな無言のまま、出口に通じる階段を下りた。うつむいて、今にも黒いシミになりそうな人々。
その映画館はもう無い。

この作品について、いろいろな意見があるようです。
人間嫌いの私としては、人がいなくなるというコンセプトが、とても気に入りました。
不思議なストーリーでしたが、全体の憂うつなトーンも自分好みでした。

作品全体が表現しているのは、インターネットの普及で、人間の意識が、現実世界から離れ、仮想空間に移ってゆく風景であると感じました。(製作者の意図は判りませんが)

そんな思い出深い『回路』ですが、カンヌで国際映画批評家連盟賞受賞とWiKiに載っていました。知らなかったw


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[作品データ]
監督・脚本 黒沢清
出演者 加藤晴彦 麻生久美子 小雪 有坂来瞳 武田真治
音楽  羽毛田丈史 和田亨
上映時間 118分